ソンミ村虐殺事件 |
http://matome.naver.jp/odai/2140481605971177701
抜粋転載します
元のものは写真もあるので見やすいです
他の資料でもっと核心に迫るものもあると思います
ベトナム戦争中の1968年3月16日、ソンミ村は突然アメリカ兵に襲われた
早朝、9機のヘリコプターから降り立った米兵は、いくつかのグループに分かれ、民家と避難壕を捜索。
逃げようとしたものは出るそばから射殺され、避難壕には手榴弾を投げ込み、無抵抗の村民を次々と殺害していった。
504名の村人が犠牲になった。
大部分は、老人、女性、子どもだった。胎児さえも殺された。虐殺を逃れたのはたった3人だけだった。
手を合わせて命ごいをする人にも、米兵は容赦しなかった。あるものは頭を撃ち抜かれ、あるものは銃剣で心臓を衝かれた。
村全体が、火炎と煙におおわれ、血が溝や水田、村の小道に溢れていた。
アメリカ軍は当初、村民に対する虐殺ではなく南ベトナム解放民族戦線のゲリラ部隊との戦いという虚偽の報告で誤魔化していた。
この大量虐殺は、チャーリー中隊第1小隊が直接実行した。
チャーリー中隊の指揮官はメディナ大尉、第1小隊の指揮官は、ウィリアム・カリー中尉だった。
刑を処せられたのは、この事件の関係者の中の一人、カリー中尉だけだった。
カリーは終身刑を宣告されたが、当時のニクソン大統領のはからいで、裁判からわずか1日後に、刑務所から釈放。
2009年、カリー元中尉が41年の沈黙を破って当時の状況を語り、犠牲者と家族らに謝罪した。
上官の命令に従って殺害した」という当時の説明を繰り返しながらも「(命令に)従った自分が愚かだったのだろう」と語った。
ソンミの虐殺は米軍として行われたのだ!!