2016年 08月 22日
脱原発テント強制撤去される |
http://www.labornetjp.org/news/2016/0821shasin
是非本文を読まれたい
それは8月21日の未明、午前3時40分だった。5人の泊まり番のうち起きていたのは2人。そこに、裁判所執行官・経産省職員・警察の人間があらわれ「10分以内に私物をもって退去せよ」と通告した。すでに周辺の地下鉄出口3か所と周辺道路はバリケードで封鎖されていた。5人が退去すると「テント撤去」作業が開始され、約1時間で撤去が終わった。一部マスコミは事前に知らされていたようで、三脚をたてて撤去の様子を撮影していた。未明に電話やメールで知った支援者らが駆け付けたが、すでに作業は終わっていた。
車イスでテント通っていた男性(写真下)は、「とにかくよく5年間頑張った。私は64歳でかかわりいま69歳になった。その間、亡くなった人もたくさんいた。テントのたたかいは反原発運動の歴史に刻まれるだろう。これからも続けていきたい」と誇らしく述べた。
脱原発テントは約5年、この日は1807日目だった。
抵抗の象徴であるこの看板は、持って行かれてしまったようである
窃盗!
この日はオリンピック中
高校野球決勝の日
未明3時40分
退去の時間10分以内、十分持ち出すことも出来ない、よって抵抗の象徴の看板は官憲に持ち去られた
姑息の極み
これが、今まで一貫した自公政権の体質である
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それは8月21日の未明、午前3時40分だった。5人の泊まり番のうち起きていたのは2人。そこに、裁判所執行官・経産省職員・警察の人間があらわれ「10分以内に私物をもって退去せよ」と通告した。すでに周辺の地下鉄出口3か所と周辺道路はバリケードで封鎖されていた。5人が退去すると「テント撤去」作業が開始され、約1時間で撤去が終わった。一部マスコミは事前に知らされていたようで、三脚をたてて撤去の様子を撮影していた。未明に電話やメールで知った支援者らが駆け付けたが、すでに作業は終わっていた。
車イスでテント通っていた男性(写真下)は、「とにかくよく5年間頑張った。私は64歳でかかわりいま69歳になった。その間、亡くなった人もたくさんいた。テントのたたかいは反原発運動の歴史に刻まれるだろう。これからも続けていきたい」と誇らしく述べた。
脱原発テントは約5年、この日は1807日目だった。
抵抗の象徴であるこの看板は、持って行かれてしまったようである
窃盗!
この日はオリンピック中
高校野球決勝の日
未明3時40分
退去の時間10分以内、十分持ち出すことも出来ない、よって抵抗の象徴の看板は官憲に持ち去られた
姑息の極み
これが、今まで一貫した自公政権の体質である
by rappp
| 2016-08-22 09:16
| 政治・経済・社会