福島双葉町「被ばく訴訟」 |
抜粋 レイバーネット
http://www.labornetjp.org/news/2015/0821idogawa
8月21日午後2時。東京地裁101号法廷で「原発事故で失われたふるさと そして被ばくの責任を問う 福島被ばく訴訟」が行われた。原告は前双葉町長・井戸川克隆氏(写真)。
「私は、今回の原発事故により計り知れない被害を受け、数えきれないほど多くのものを失いました」に始まる意見陳述
爆発後一週間で「さいたまスーパーアリーナ」、その後旧騎西高校(いずれも埼玉県)へ町民を避難させたのだが、それにしても、双葉町民がうけた初期被ばくは甚大だった。
2011年3月12日。大半を川俣町に避難させたものの、最後まで町内に遺されたのが高齢者施設や病院の人たちだった。その避難誘導をしていた井戸川さんは15時36分、「ドン」という音とともに、ぼたん雪のように降る放射性降下物をみる。一号機が爆発したのだ。
同じころ政府のテレビ会見では「直ちに影響はない」を強調し、事態の深刻さをまったく伝えなかった。「なんだこの国は。我々を見捨てる気か」と、強い不信感を持たざるをえなかったという。
もっと問題だったのは東電が、避難誘導どころか予告もなしにベントを実行していたことだ。フクイチから5キロほどの双葉町上羽鳥地区のモニタリングポストは、一号機の爆発前にもかかわらず4613マイクロシーベルト(毎時)が記録されていた。
私見
東電・政府は双葉の住民を避難させる措置は何一つ取っていない
避難は、すべて、住民の工夫で行われた
あろうことか、東電は、避難誘導どころか予告もなしにベント(排気)を実行していた
この時の線量4613マイクロシーベルト(毎時)